予算6億円の同人映画『CASSHERN』(CinemaScapeコメント再録)

非商業の映画は一般的に「自主映画」と呼ばれますが、敢えて「同人」と呼びたいのは、原作アニメあっての二次創作であるが故でしょうか、この映画の「オレの考えたキャシャーン100%」っぷりに自主映画でなく同人誌を連想してしまったからです。

・壮大なスケールで別世界を描いてみせたはずなのにどうしようもなく「狭い」ところに「セカイ系」と同じ匂いを感じる。

・お金も労力も惜しみなく注ぎ込み全力で構築したビジュアル・イメージは既視感にあふれており、また、端からそれを隠す気もなく、むしろ全面に押し出しているかのような「こういう画おまえら好きだろwwおれもwwwww」的ktkr感。

・「きれいな」キャスティングに象徴されるマガジンハウス的ソフィスティケイト。何を描いても何もかも清潔。よごれも痛みも清潔。

そんなところも含めて「わたしたち」と同じ病、より乱暴に言えば同世代的なそれを勝手に感じ、どんよりした気持ちです。もう少し何かひっかかるところがあれば激しい同属嫌悪にかられたかもしれません。

そんな個人的感慨は別として、とにかく、物語ることについての資質も、実は興味も、ないのかなあと思います。ならばもう、映画としての体裁だけは整えるなんてことは放棄してしまえばどうだったでしょう。案外、見たこともないようなド凄いものが出来たのかもしれません。もしくは映画のお約束が全然守れていなくても、そんなことがどうでもよくなるような「異常な過剰さ」があれば、愛せたかもしれない。そのどちらにも突きぬけられなかった残念な映画だと思います。

とは言えテーマはとても立派です。「<先ず>赦すことから<しか>なにも始まらない」これ、わたしが一本前に観た映画のコメントの一部なのですけど、なんと『CASSHERN』がその映画と同じことを言ってたというシンクロシニティにビビってたじろいだことはさておき、これ超厳しいけど超真実ですよ。立派。でもいかんせん、ラストシーンで唐突にこんなこと言われてもちっとも響かないよね…。

空虚な台詞に誰もが潰される中、それに負けない唐沢寿明って凄いんだな、と気づかされました。さすがシェイクスピア役者。大滝秀治が凄いのは知ってたけどやっぱりすげえ。息子との電話が切れたところの芝居。人間の発するノイズを徹底的に排除したこの映画の中で唯一排除し切れなかったノイズでした。この映画に最も嵌っていたのがミッチーで、期待された仕事を十全にこなしており、それは主演を含めた他の役者と比べて大いに評価されるべき仕事ぶりではあるのだけれど、そこにこそ彼の悲劇があるような気がしました。それがなんなのか、まだ言葉には出来ていないのですが。