その「ピュア」で大丈夫なのか

深町先生のダイアリーが炎上
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20080225

そして美しすぎる鎮火エントリ
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20080227

ブログ炎上も結果深町先生が株を上げただけだったー、という展開が美しすぎてちょっと妬ましいです。くやしい!でも感じちゃう…

そもそものきっかけとなった一青 窈さんのPV


「受け入れて」


「つないで手」

深町先生が何か言わずにいられなかったほどパンチが効いているのは確か。

今回主に遡上に上がったのは性同一性障害を持つ友人の告白がきっかけで作られたという「受け入れて」。いきなり特殊メイクで顔が普段の倍大きく怖くなってる嶋田久作が登場。すごいモヤモヤする…。今更こんな役のオファーを受けた嶋田久作の気持ちや、やけに気合の入った特殊メイクをしていることや、特殊メイク必要ないんじゃ…?と思ってしまうこと、そしてなにより、顔や動作が怖くて、自分が彼を受け入れられるかどうか、正直言ってあまり自信がないことに、自分の中の善意がものすごくモヤモヤする。

しかし実際障害者と接してみればわかるが、別に健常者と変わらない。普通の人間である。(中略)それがなぜああした極端な造詣の特殊メイクの怪物になるのか。それがまずわからない。そして虫をも殺さなさそうな純粋な性格の持ち主というのもよくわからない。そうした差別に苦しむ人間の心のうちというのは、健常者には想像もつかないほど複雑な内面を抱えているのだ。あのPVの物語上仕方ないのかもしれないが「純粋な心の持ち主」という単純なキャラ設定が受け入れがたい。

リアルな障害者というのは描かれることが少ない。24時間テレビ式の「元気にひたむきに頑張る障害者」か「心は美しい障害者」の二パターンしか障害者はこの世に存在しないかのようだ。

深町先生はこのように批判している。

わたしは「怪物のような見た目」と「純粋な心」の対比がズルい、と思った。物語や媒体の性格上いくらかのデフォルメが必要だろうとは思うけれど、この対比の付け方は強烈過ぎる。見た目はよりグロテスクに、心はよりイノセントに。対比があまりに強烈でそれ自体がシニカルなギャグにすら見えてしまうけれど、どうも作り手に笑わせる気はないらしい。

「見た目は怪物/心は天使」こういう造詣のキャラクターは、今までにも映画やドラマにたくさん登場した。そんなキャラクターに「表層で人を判断し貶めることの愚かしさ」を語らせるようなやり方は、差別がより苛烈だった時代には有効な方法だったと思う。でも。

PVにでてくる主婦たちは怪物くんを底意地の悪そうな目で見るが、そんな露骨なことを今時の主婦がするものか。(中略)「ああ、障害を持ってらっしゃるんですね。ちょっと違う人ですね。たいへんですね。怪物みたいですね。でも私は受け入れますよ」とリベラル顔くらいはする。

深町先生の仰るとおり、今どきそんな露骨な差別をする人はいない。エレファントマンに石を投げる奴なんか、そうそういない。それでもやはり、フランケン久作に「うわ…」と引いてしまって、でもそんな彼が世間から白い目で見られて号泣する姿に、自分の善意がチクチクと針で刺されるような気持ちになるのは、おそらく、ごく一般的な反応だろうと思う。まさにそういう反応をしてしまった自分を、正当化しようとしているわけじゃないんです。でも、こんなの、人の善意を人質に取るようなやり方じゃないかしら。見た目の怪物感はよりグロテスクに、心の天使度はよりピュアピュアに。そうして越えられないほど高いトラップを作っておいて「ほーら、おまえらこれを越えられないだろう」と言って、いったいそれが何を生むんだろう。越えられないことに拗ねるか、自分には越えられると錯覚する(これもデフォルメ効果が生み出す罪なのでは)か、あるいは逆ギレするか、いずれにせよ、越えられない人の心が歪むだけなんじゃないんだろうか。そういうことを考えないでこの映像が作られているとしたら、あまりに稚拙だと思う。罪作りだとすら思う。

今回は「受け入れて」の方に話題が集中したけれど、「つないで手」もいろいろとゾクゾクする映像です。この中で「手」はおそらく人の善意を象徴していて、「わたしたちはひとりで生きているんじゃない。他人の善意に支えられて生きているんだよ。」ということを表現したいんだろうと思うけど、「手」という意匠は善も悪もひっくるめて「意志」を象徴するものなので、作り手が言いたいこと以外の意味が浮かび上がってしまって、結果すげー怖い映像になっちゃってるよー!志村ー!うしろ!うしろ!!と書いたところでもう一度観てみたら、その点を棚上げしてもまだ、ものすごくゾワゾワして…このイヤな感じは…ええと…と頭を捻っているうちに「全体主義」という言葉が浮かんで腑に落ちると同時にゾッとしました。作り手の意図からは全く外れて「善意」の危うさを直感させてしまう教材的映像。まだ観てないけど、さすがに「かもめ食堂」や「めがね」はこれとは違うと信じ…たい…!

あとコメント欄を見てて「羊水」発言の意図が本気でわかっていない人がいたのには絶望した!それと着ぐるみの中の人が一青 窈という設定なんじゃないかという意見があったけど、もし最後に着ぐるみの頭を脱いで一青 窈が出てきたら、わたしはブチ切れるよー!当事者気取りかよ!そんな免罪符認めねええ!